信頼を失う一瞬の決断|不動産営業が陥る「希望していない物件のゴリ押し」はなぜ逆効果になるのか

顧客からの問い合わせに対して、別の物件を強く提案する――。不動産営業の現場では珍しくないこの光景が、実は契約を遠ざけている可能性があります。最新の業界調査では、営業の推し売りが原因で顧客が不満を感じるケースが明らかになりました。顧客は何を求めているのか。そしてなぜ、希望していない物件の勧誘は逆効果に転じるのか。データと心理学から、信頼を勝ち取る営業のあり方を考えます。


「まだ良い物件がある」が地雷になる理由

顧客が特定の物件に問い合わせてきた。その時点で営業が判断するのは「この顧客には別のほうが合いそうだ」という見立てです。経験豊富な営業ほど、こうした直感に頼ります。しかし、その判断が必ずしも顧客のニーズと一致しているとは限りません。

2024年の不動産情報サイト事業者連絡協議会による調査では、顧客が不動産会社の対応に不満を感じた理由の上位項目に「問合せ後の営業がしつこかった」が挙がっています。賃貸では9.0%、売買では13.7%の顧客が、強引な営業活動に不快感を覚えているのです。

この数字が示しているのは、営業側の「親切心」や「提案」が、顧客には「圧力」や「不信感」として受け取られているという現実です。

顧客が事前に「絞り込み」している事実

重要なデータがもう一つあります。同じ調査では、物件を契約した顧客が検討時に問い合わせた物件数が過去10年で最少だったことが報告されました。賃貸では平均6物件、売買でも平均6.8物件に減少しています。

これは何を意味するのか。顧客は大手不動産ポータルサイトで十分に下調べを済ませ、「これなら良さそう」という物件に限定して問い合わせているということです。つまり、顧客の頭の中には既に「購入フロー」が完成している状態で営業担当者に連絡しているのです。

そこに突然、別の物件を提案されたらどうなるか。顧客は感じます。「自分の希望を聞いてくれていない」「この営業担当者は自分の立場で考えていない」と。

心理学が説く「返報性の原則」の落とし穴

営業心理学で知られる「返報性の原則」という概念があります。人は相手から何かをしてもらうと、お返しをしたくなるという心理作用です。しかし、この法則にも限界があります。

顧客の明確な希望に反した提案は「親切」ではなく「押し売り」と認識されます。返報性を期待するどころか、この時点で顧客との信頼関係は大きく毀損してしまいます。

調査では「問合せをしたら返答が遅かった」という不満も複数年にわたって上位に登場しています。これは言い換えれば、顧客は「素早く、誠実な対応」を求めているということ。つまり、提案の数ではなく、対応の質と顧客第一主義が重視されているのです。

「NO」と言われることの先にあるもの

希望していない物件を勧められた顧客がその時点で契約に至ることはほぼありません。むしろ、その会社への問い合わせを打ち切り、別の不動産会社を探し始めます。

同調査では、契約に至った顧客が問い合わせた不動産会社数も過去10年で最少になっています。賃貸では平均2.1社という結果です。つまり、1社目で満足できなければ、2社目、3社目が最後の砦。複数回のやり取りのチャンスは限定的なのです。

顧客が「希望していない物件」に対して心理的に距離を置いた時点で、その営業担当者から他の物件を紹介されても、耳に入りにくくなります。これが営業の「信頼残高」の枯渇です。

データが示す「顧客満足の正体」

では、顧客は何に満足しているのか。同調査の「満足だったこと」の上位項目は以下の通りです。

賃貸トップ5

  • 問合せに対するレスポンスが早かった(69.5%)
  • 内見をさせてくれた(53.9%)
  • 言葉遣いや対応が丁寧だった(47.9%)
  • 自分たちの都合を配慮してくれた(41.3%)
  • 物件まで同行してくれた(35.3%)

これらの項目に共通するのは、すべて「顧客のニーズに応えるプロセス」であることです。提案の数や「より良い物件」の存在ではなく、丁寧さ、迅速さ、顧客中心の姿勢が評価されているのです。

成功する営業は「聴き手」である

ハイパフォーマンスの営業ほど、実は提案回数が少ないという業界内での共通認識があります。なぜか。それは、顧客の本当のニーズを理解するまでに時間をかけるからです。

「希望していない物件のゴリ押し」は、営業が顧客の話を十分に聴かないまま、自分の「仮説」で判断していることが根底にあります。一方、成功する営業は違う。顧客が最初に提示した物件に対し、なぜそれを選んだのか、どのような点が魅力的に映ったのか、生活スタイルはどうか――こうした「背景」を徹底的に掘り下げます。

その過程で、確かに「より適切な代替案」が見つかることもあります。しかし、その提案は顧客のニーズを十分に理解した後での「共創」であり、「押し売り」ではないのです。

なぜ現場では「提案至上主義」が蔓延するのか

不動産営業の環境では、売上や成約数が重要です。限られた在庫の中で、その日のうちに決断を促す。あるいは、今月の目標達成に向けて「確度の高そうな案件」に誘導する。こうした営業機制が、結果として顧客を遠ざけてしまっている。

多くの不動産会社では、営業個人の努力に依存した営業手法が定着しています。しかし、その手法が今、時代に合わなくなっているのです。

「聴く営業」への転換が競争力になる理由

では、何が変わるべきか。それは営業プロセスの根本的な転換です。

顧客のニーズを先読みして提案する。これは確かに経験と直感を要する高度な営業活動に見えます。しかし、顧客データの多様化、検索行動の変化、そして何より顧客自身がすでに十分に情報を持っている時代においては、この手法は通用しなくなっています。

求められるのは、むしろ「診断力」です。顧客が何を望んでいるのか、その背景にある人生のストーリーは何か。こうした深い理解から生まれる提案は、たとえ1つであっても、顧客の心に響きます。

そして、この「聴く営業」は、個人の営業資質だけに頼るものではありません。きちんとしたシステムとサポート体制があれば、組織全体で実現可能な営業文化なのです。

信頼残高を増やす「3つの実践的Tips」

1.「否定」ではなく「深掘り」で応える

顧客が希望していない物件を提案する前に、その顧客がなぜその物件に惹かれたのかを3つ以上、具体的に引き出しましょう。その過程で、初めて代替案の妥当性が判断できます。

2.提案は「選択肢」として提示する

「こちらのほうがいいと思います」ではなく「別の視点から見ると、このような物件もあります。どう思われますか?」という フレーミングで、顧客の判断権を奪わないようにします。

3.レスポンスと丁寧さを最優先にする

新しい提案をするより前に、今この瞬間の顧客への対応品質を高める。迅速で丁寧な対応こそが、次の提案を聴いてもらえる基盤を作ります。

組織内でこの転換を実現するには

営業スタイルの転換は、個人の工夫だけでは限界があります。社内教育、営業プロセスの構築、顧客管理システムの最適化など、組織的なバックアップが必要です。

特に不動産仲介業の場合、物件という「有限の商品」を扱うため、営業担当者への依存度が高くなりがちです。その結果、営業個人の営業スタイルが組織全体に蔓延します。

しかし、これからの不動産営業が評価されるのは「何をいくつ売ったか」ではなく「顧客にいかに寄り添ったか」です。この転換を組織として実践している企業こそが、競争力を持つようになります。

希望していない物件のゴリ押しが招く、予想外のコスト

最後に、ビジネス的観点から考えてみましょう。

顧客が提案された物件を契約しなかった場合、単に「その顧客を失った」わけではありません。その顧客が他の会社で契約し、その体験を口コミやSNS、あるいは周囲への人間関係の中で発信します。

デジタル化した現代では、「あの不動産会社は希望を聴いてくれなかった」というネガティブな評判は、瞬く間に広がります。反対に、「丁寧に話を聴いてくれて、柔軟に対応してくれた」というポジティブな評判も同じく広がります。

1件の顧客対応が、その後の10件、20件の新規顧客獲得に影響を与えるのです。これは営業の「効率性」の問題ではなく、企業の「信頼資産」の問題なのです。

終わりに ― 時代が求める営業の姿

不動産営業の未来は、「ゴリ押しから聴く営業へ」という転換の中にあります。

顧客は、自分の人生の大切な決断を手伝ってくれるパートナーを求めています。単なる物件の提供者ではなく、ライフプランを理解し、それに寄り添う専門家です。

その理解の上に立つ提案であれば、たとえそれが顧客の最初の希望と異なっていても、顧客は耳を傾けます。なぜなら、すでに信頼があるから。そして信頼とは、顧客の希望を尊重するプロセスの中でしか、生まれないのです。

あなたの営業スタイルは、いま、変わる時期を迎えているのかもしれません。